C.r.e.a.m. Team Records第二弾シングル「コタエハヒトツナハズガナイ」ライナーノーツ

C.r.e.a.m. Team Records第二弾シングル「コタエハヒトツナハズガナイ」ライナーノーツ

2022年9月21日より発売のC.r.e.a.m. Team Records第二弾シングル「コタエハヒトツナハズガナイ」(DJ MITSU THE BEATS feat.KOHEI JAPAN)。前回同様、1996年よりライターとしての活動をスタートし、ヒップホップ専門誌『blast』などを中心に執筆した大前 至(おおまえ きわむ)氏に同曲のライナーノーツを依頼した。

<本文はじまり>

90年代ヒップホップをテーマに掲げるC.r.e.a.m. Team Recordsから今年(2022年)6月に発表されたDJ MITSU THE BEATSとShing02とのコラボレーションによるシングル「Memento」に続き、同レーベルの第2弾シングルとしてリリースされるのが、KOHEI JAPANをフィーチャした「コタエハヒトツナハズガナイ」だ。

90年代半ばにデビューした2MC1DJのヒップホップグループ、MELLOW YELLOWの一員として活動しながら、ソロ名義でも4枚のオリジナルアルバムと1枚のベストアルバムを発表してきたKOHEI JAPAN。他にもDJ KIYOとのユニットであるFunky Lemonadeでの活動や、ソロでもK.J.という別名義でのプロジェクトを立ち上げたり、さらにインディーからメジャーまでさまざまなアーティストの楽曲にゲスト参加するなど、約30年間のアーティスト活動の中で実に多彩な活動を繰り広げている。ちなみにヒップホップファンの間では、RHYMESTERのMummy-Dの実弟としても知られる存在だ。そんなKOHEI JAPANとDJ MITSU THE BEATSの関係性からまずは話を始めよう。

・「MELLOW YELLOW」出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』

https://ja.wikipedia.org/wiki/MELLOW_YELLOW

・Funky Lemonade (Dj Kiyo & KOHEI JAPAN) – RHYME THERAPY

両者が最初に出会ったのは、KOHEI JAPANが1stソロアルバム『The Adventures of KOHEI JAPAN』をリリースした2000年頃のことで、秋田にて行われたKOHEI JAPANのライブの前座を務めたのが、当時まだデビュー前のGAGLEであった。この時のエピソードはのちにKOHEI JAPANをフィーチャしたGAGLEの曲「Constellation」(アルバム『BIG BANG THEORY』収録)のリリックでも語られているのだが、その時のことを二人は今でもはっきり覚えているという。

最初にビックリしたのがHUNGERのラップで。それまで俺らが作り上げてきた日本語ラップとも違っていて、すごくオリジナリティが溢れていた。そのライブのトラックがやたらジャジーで、完成度も高くて。その時にもらったGAGLEのデモテープは今でも持っていて、俺の宝物でもあるんだけど、ジャズのループでドラムしっかりしてるみたいな感じのトラックで、今のガグルのまさに原型。その時からブレてない感がすごく伝わってくる。
”みんなで創る”90年代ヒップホップ専門レーベル|C.r.e.a.m. Team Records
KOHEI JAPAN
HUNGERの変態性にすごく反応してくれて、「なんか、お前ら変なやつだな?!」みたいな感じで話しかけてもらって。もともと、RHYMETSTERとかRIP SLYMEと同じようにMELLOW YELLLOWも格好良いなと思って聞いていて。KINさんとの声のコントラストとかバランスが良いなと思っていたし、普通にただのファンでしたね。
”みんなで創る”90年代ヒップホップ専門レーベル|C.r.e.a.m. Team Records
DJ MITSU THE BEATS

二人の初共演となったのが2002年にリリースされたコンピレーションアルバム『Change The Game』の収録曲「もしも息子ができたなら…」だ。この『Change The Game』は当時、社会問題となっていた児童虐待を抑止するために企画されたチャリティアルバムで、曲の依頼を受けたKOHEI JAPANがDJ MITSU THE BEATSに声をかけてプロデューサーとして参加してもらうことになったという。

その前の年(2001年)にGAGLEがNext Levelからデビューして、レーベルメイトになったタイミングでもあったので、「頼んでみようかな?」みたいな感じで。スケジュール的にも急な話だったんだけど、急きょ、ミツ(DJ MITSU THE BEATS)に仙台から東京のスタジオまで来てもらって。それで出来上がったのが「もしも息子ができたなら…」なんだけども、その後、ライブでも毎回やる曲になったり、俺自身の曲でもすごく重要な位置を占めている曲になった。
”みんなで創る”90年代ヒップホップ専門レーベル|C.r.e.a.m. Team Records
KOHEI JAPAN
当時、自分の代名詞みたいな感じの曲になって、本当に感謝してます。楽曲としてメッセージ性がすごく強くて、意味がある曲で。あと、代表曲になるような曲って単に時間をかければいいわけじゃなくて、GAGLEの「屍を越えて」とかもそうですけど、その時にパッと生まれたものがすごく大事なんだなとも思いました。
”みんなで創る”90年代ヒップホップ専門レーベル|C.r.e.a.m. Team Records
DJ MITSU THE BEATS

「もしも息子ができたなら…」はその後、2007年にリリースされたKOHEI JAPANのソロアルバム『Family』にボーナストラックとして再収録され、さらに翌年にリリースされた『Family E.P.』のためにDJ MITSU THE BEATS自身の2008年バージョンが制作され、こちらのバージョンは配信などで聞くことが可能だ。話を少し戻して、2002年にリリースされたオリジナルの「もしも息子ができたなら…」を経て、前述したようにGAGLEのメジャーデビューアルバムとなった『BIG BANG THEORY』(2005年リリース)にKOHEI JAPANはゲスト参加し、「Constellation」という曲が生まれる。

GAGLEのメンバー全員がコーヘイさんのことが大好きで。尊敬する先輩だけどすごく喋りやすいし、僕らに対する対応とか、まるで兄貴みたいな感じだった。メジャーでアルバムを作るってなった時にすぐに名前が挙がって、是非やりたいっていう話になって。
”みんなで創る”90年代ヒップホップ専門レーベル|C.r.e.a.m. Team Records
DJ MITSU THE BEATS

「Constellation」によってGAGLEとKOHEI JAPNANの関係はさらにタイトになり、ステージで共演する機会もさらに増えていく。ただ、意外なことではあるが、実際にKOHEI JAPANとDJ MITSU THE BEATSの共演曲は「もしも息子ができたなら…」とGAGLEの「Constellation」のみ。リリース作品以外ではDJ MITSU THE BEATSがトラックを提供し、KOHEI JAPANがナレーションとラップを担当した、2019年公開の千葉県白子町のイメージムービー『SHIRAKO Life Style』がある程度だ。つまり、今回のシングル「コタエハヒトツナハズガナイ」は、2008年バージョンの「もしも息子ができたなら…」を入れたとしても、実に14年ぶりのリリース作品となる。

今回、C.r.e.a.m. Team Recordsの第2弾シングルにKOHEI JAPANが参加することになった経緯として、まずはFunky Lemonadeの大ファンであるレーベルオーナーの強い意向があり、DJ MITSU THE BEATS自身もその意見に乗ってオファーしたという流れがある。当然、KOHEI JAPANはオファーを快諾し、KOHEI JAPANがラップするのをイメージして制作されたトラックがKOHEI JAPANへと送られた。

ドラムがきっちりとクオンタイズされてない、ミツ独特のグルーヴ感が最初はちょっと掴めなくて。「おじさんには難しいビート持ってきたな~」って(笑)。けど、1回ラップを乗せてみると、すごく気持ち良くラップ出来るというか。それは音の鳴りもそうだし、ビートの配置も絶妙と言うか。とにかく上手い!って思った。
”みんなで創る”90年代ヒップホップ専門レーベル|C.r.e.a.m. Team Records
KOHEI JAPAN

「コタエハヒトツナハズガナイ」を最初に聞いた時、前半部分のドラムが大胆に抜かれている構成に驚かされたが、これは実はKOHEI JAPANのディレクションによるものであったという。

あれは完全にコーヘイさんのアイディアですね。そういうのって他のラッパーではあんまりないんですけど、コーヘイさんはアドバイスも的確にくれて。そういう意味で、ちゃんとコラボして作ったっていう感じがあります。
”みんなで創る”90年代ヒップホップ専門レーベル|C.r.e.a.m. Team Records
DJ MITSU THE BEATS
最初に送られてきたのがド頭からビートが入った基本のループだけだったので、すごくシンプルに感じて。俺のラップもシンプルだから、結構大胆に展開したほうがいいかな?と思って。ミツにドラムなしのループを送ってもらって、自分のパソコンで切り貼りしてミツに戻したら、それを尊重してくれて。
”みんなで創る”90年代ヒップホップ専門レーベル|C.r.e.a.m. Team Records
KOHEI JAPAN

ドラムの鳴りやシンプルな上ネタのサンプリングに、90年代ヒップホップのテイストも強く感じさせる今回のトラック。なかでも最も重要なポイントとなっているのが、エモーショナルに響くギターの音色だろう。

コーヘイさんに合うって考えると、ファンキーなトラックか、こっち(エモーショナル)方面のどちらかかなって。それでギターのサンプルを使ってトラックを作って。聞いてもらえれば分かると思うんですけど、実は今回のトラックは少しだけ「もしも息子ができたなら…」へのオマージュも入っています。
”みんなで創る”90年代ヒップホップ専門レーベル|C.r.e.a.m. Team Records
DJ MITSU THE BEATS

リリックの中に母親の話が出てきた部分にも、個人的には「もしも息子ができたなら…」との繋がりを感じたのだが、フックにもある“唯一無二”=“ワンアンドオンリー”というヒップホップ的にも普遍的なテーマは、実は今回のプロジェクト以前から存在していたものであったという。

もともと自分のソロアルバム用に作っていたデモ曲があって。一時期いろいろ考え込んで結構スランプだったことがあって。その時に「まあ俺は俺だし」って思えるようになって、スランプを脱出できて。そういうテーマの曲って俺はあまりなかったから、「みんなもそうだぜ」みたいな感じで着地させた曲にしてデモを録って。ただ、デモ曲のトラックがあまりにも大ネタでリリース出来るものではなかったので、宙ぶらりんな状態で。それを再構築して細かい部分を調整しながら、ミツのトラックに乗っけたのが今回の曲で。
”みんなで創る”90年代ヒップホップ専門レーベル|C.r.e.a.m. Team Records
KOHEI JAPAN
最初に聞いた時に、正直、すごく嬉しかったですね。すごく良いテーマで、全てが期待以上っていうか。ラップの仕方もそうだし、オリジナルのフロウを持ってて、歌詞の書き方もオリジナル。他の誰にも真似できない、コーヘイさんならではの絶対的なオリジナリティの高さが、本当にすごいなと思いました。
”みんなで創る”90年代ヒップホップ専門レーベル|C.r.e.a.m. Team Records
DJ MITSU THE BEATS

2002年にリリースされたオリジナルの「もしも息子ができたなら…」からちょうど20年を経て完成した、今回の「コタエハヒトツナハズガナイ」。二人の絶対的な相性の良さは今回も健在であるし、お互いにとっての新たなクラシックとなる可能性を秘めた曲とも言えるだろう。最後は今回のコラボレーションをやってみての改めての感想をKOHEI JAPANに聞いてみた。

ミツのビートは装飾もあまりなくて無駄がないからこそ、ラップの力を試される。それにデモの段階で細かくミックスされていて、ラップをしたくなる仕掛けがあるから、ラッパーとしては乗せられる。あとは今回のギターもそうだけど、ネタのコード進行みたいなところで掴まれるものがあって、感情を引き出してもくれるなって。本当に今回、ひさびさにやれて良かったです。
”みんなで創る”90年代ヒップホップ専門レーベル|C.r.e.a.m. Team Records
KOHEI JAPAN

ちなみに現在、KOHEI JAPANは次のソロアルバムに向けた制作を数年にわたって続けており、すでにデモ曲もかなり溜まっているということで、『大人チャレンジ』(2010年リリース)以来の新作を楽しみに待ちたい。また、今回のインタビューの中でDJ MITSU THE BEATSは「コーヘイさんとならばEPでもアルバムを作れるぐらいの気持ちがある」とも語っており、いつか二人のコラボレーションによる作品が作られることも密かに期待したい。

<本文終わり>

文:大前 至(おおまえ きわむ)

音楽ライター。1996年よりライターとしての活動をスタートし、ヒップホップ専門誌『blast』などを中心に執筆。2003年よりロサンゼルスへ拠点を移し、Stones Throwなどアンダーグラウンド・ヒップホップシーンを軸に取材活動を行いながら、音楽だけでなく、ファッション、アートなど様々な分野の執筆を手がける。2015年に日本へ帰国し、現在も様々な雑誌、ウェブメディアにてヒップホップを中心としたライター活動を行なう。