I Miss 90s Hip-Hop Vol.0 <序章>

I Miss 90s Hip-Hop Vol.0 <序章>

ヒップホップの誕生から80年代末まで

”みんなで創る”90年代ヒップホップ専門レーベル|C.r.e.a.m. Team Records

90年代のヒップホップを専門とするレーベル「C.r.e.a.m. Team Records」のウェブサイト内で、今月からスタートする新連載『I Miss 90s Hip-Hop』。今回は序章=Vol.0として、ヒップホップの誕生から80年代末までのヒップホップシーンの流れを追います。

2022年の今、世界中にて、音楽だけでなくファッションやアートなどさまざまな分野に多大な影響を与え続けているヒップホップ・カルチャー。USのビルボードチャートの上位をヒップホップアーティストが独占しているのも今や当たり前のことであるし、ここ日本でもフリースタイルラップが一般層にも浸透していたり、2024年に開催されるパリオリンピックにて正式種目になったことでブレイキン(ブレイクダンス)に注目が集まるなど、以前はサブカルチャーであったヒップホップが、今では完全にメインストリームな存在となっている。

そんなヒップホップ・カルチャーが誕生したのは、今から49年前のこと。1973年8月11日、当時18歳であったジャマイカ生まれのDJ、Kool Hercがニューヨーク・サウスブロンクスのプロジェクト(注:低所得者向けの集合住宅)内のレクレーションルームにて開催した『BACK TO SCHOOL JAM』と銘打ったパーティがその起源と言われている。

https://rockthebells.com/articles/dj-kool-herc-rec-room-party/

最もリスペクトを得ていたのはDJ

”みんなで創る”90年代ヒップホップ専門レーベル|C.r.e.a.m. Team Records

DJ、MC=ラッパー、そしてお客でありながらパーティのメインの存在でもあるブレイキンを踊る若者たち=Bボーイが集まったブロックパーティを通じて、ヒップホップはブロンクスを中心にニューヨーク内で広まっていき、Kool Hercに加えて、Zulu Nationというクルーを率いるAfrika Bambaataa、DJのテクニックの面では頭ひとつ抜きん出ていたGrandmaster Flashという3人の偉大なDJたちがシーンの礎を作っていく。

よく言われるように、この時代のヒップホップシーンで最もリスペクトを得ていたのはDJで、ラッパーはあくまでも彼らの引き立て役でしかなかった。ヒップホップの歴史上、最初のラッパーと言われているのがKool Hercのクルー=HerculoidsのメンバーでもあるCoke La Rockだ。彼はKool Hercがプレイする曲に合わせてマイクを握ってオーディエンスを煽り、例えば彼が生み出したという<You Rock and You Don’t Stop>といったフレーズは、のちに様々なラッパーが曲の中で引用している。

そんなヒップホップ黎明期を舞台にしたのが、Netflixにて2016年に公開されたオリジナルドラマ『The Get Down』(邦題『ゲットダウン』)だ。1977年のサウスブロンクスからスタートするこのドラマは、当時十代であった若者たちを主人公にしたミュージカル劇でありながら、ニューヨークという地でヒップホップというものが生まれた背景や初期衝動からくる興奮、躍動感というものを見事に描いている。

もう一本、1982年に制作(上映は1983年)された映画『Wild Style』(邦題『ワイルド・スタイル』)もニューヨークのヒップホップシーン最初期を知る上で非常に重要な作品だ。ヒップホップの4大要素であるMC、DJ、グラフィティ、ブレイキンをそれぞれバランス良く描いており、当時のシーンで最前線にいた本物のアーティストたちが出演したことで、半ドキュメンタリー的な作品に仕上がっている。

ラップのレコード化がもたらしたもの

”みんなで創る”90年代ヒップホップ専門レーベル|C.r.e.a.m. Team Records

70年代から80年代初期にかけては、『The Get Down』や『Wild Style』でも描かれているブロックパーティがヒップホップシーンの中心となっていたが、ニュージャージーにて誕生したインディレーベル、Sugar Hill Recordsが1979年にシングルリリースしたSugarhill Gang「Rapper’s Delight」によって状況は一変する。初のラップレコードと言われるこの曲は、実はレーベル側が急ごしらえで用意した素人3人組がGrandmaster Cazという本物のラッパーが書いたリリックをラップしたもので、シーンにとってはいわばフェイクな代物であった。

そもそも、ブロックパーティの場ではDJがプレイするレコードに合わせて、今で言うフリースタイル的にラッパーが自らの言葉を延々と乗せているだけで、レコードという形で音源化するという発想は皆無。あくまでもパーティの現場あるいはそのパーティを録音したカセットテープでのみ楽しむためのものでしかなかった。Sugar Hillの主宰者で「Pillow Talk」というヒット曲でも知られるシンガーでもあったSylvia Robinsonは、部外者であったからこそラップのレコード化というアイディアを思い付いたわけだが、「Rapper’s Delight」は発売の翌年にビルボードの総合シングルチャートにて最高36位に入り、さらにカナダやヨーロッパ各国でもヒットを記録する。結果、「Rapper’s Delight」のヒットはこれまでニューヨークだけのものであったラップが、全米および世界中へと広がっていく最初のきっかけになった。

Sugarhill Gang

「Rapper’s Delight」のヒットによってラップのレコードはビジネスになることが証明され、Sugar HillやEnjoyといった新興レーベルや、さらに小規模なインディレーベルからもさまざまなアーティストの作品が次々とリリースされていく。さらにラッパーとして初のメジャー契約アーティストとなったKurtis Blowは、1980年にリリースしたシングル「The Breaks」でヒップホップ史上初のゴールドディスクを獲得し、全米にその名を知らしめることになる。

Kurtis Blow

ちなみにこの頃のラップシングルはChic「Good Times」を下地にした「Rapper’s Delight」のように当時のディスコヒット曲をそのままトラックとして流用したり、生音で演奏し直してアレンジしたトラックにラップを乗せるというスタイルで作られ、今では“ディスコ・ラップ”とも呼ばれている。つまりそれは単にブロックパーティで行われていたものを擬似音源化したに過ぎないわけだが、ラップの存在が世の中に浸透していくにつれて著作権の問題なども起こるようになり、生音での演奏からドラムマシンやシンセサイザーを使用したオリジナルのトラックが導入され、ヒップホップはサウンドの面でも凄まじいスピードで進化していく。

「HIPHOP」という言葉の発祥

”みんなで創る”90年代ヒップホップ専門レーベル|C.r.e.a.m. Team Records

余談ではあるが、実は当たり前のように使われている“Hip-Hop”という言葉がこのカルチャーを示すようになったのもこの時期のことである。すでに「Rapper’s Delight」の歌詞にも“Hip Hop”は出てきていたが、ラップの中でよく使われていた語呂の良い言葉というだけで、もともとはLovebug Starskiというラッパーが生み出したと言われている。何の意味のなかったこの言葉が、1982年9月に発行された『Village Voice』紙に「Afrika Bambaataa’s Hip Hop」というタイトルのAfrika Bambaataaのインタビュー記事が掲載されたことで、カルチャーの総称として用いられるようになっていく。ちなみにこの記事の中で“Hip Hop”をカルチャーの呼び名としたのはAfrika Bambaataaではなく、記事を執筆した記者本人なのだが、正式な名前を持ったことはこのカルチャーが外へと伝わるために確実にプラスに作用していく。

ヒップホップ表現の可能性を広げたDef Jam

”みんなで創る”90年代ヒップホップ専門レーベル|C.r.e.a.m. Team Records

1983年に入り登場したのが、ヒップホップ史上最も偉大なグループの一つであるRun-D.M.C.だ。RunとD.M.C.という2MCの掛け合いによるラップのスタイルは、それまでの世代とは圧倒的に異なるグルーヴを持ち、さらにサウンドにエレキギターを大胆に組み入れたことで、今までヒップホップに見向きもしなかった層にも深くアプローチした。なかでもAerosmithの同名曲をカバーした「Walk This Way」の破壊力は凄まじいものであった。この「Walk This Way」をプロデュースしたのがRunの実兄であるRussell SimmonsとRick Rubinだが、彼らが設立したレーベル、Def Jam Recordingsもまた80年代のヒップホップシーンを語る上で欠かせない存在だ。マッチョでストロングなスタイルを押し出しながら、アイドル的な人気で女性ファンからも絶大な人気を得ていたL.L. Cool J.。パンク出身の白人3人組という編成で「Fight for Your Right」という特大ヒットを放ったBeastie Boys。そして、リリックの中に社会的なメッセージも交えながら、まるで軍隊のような演出によるステージングでも魅了したPublic Enemy。80年代半ば以降に、それぞれ全く異なるタイプのこの3組のスターをDef Jamが世に送り出した功績は非常に大きく、ヒップホップの表現の可能性を無限に広げた

RUN DMC

LL COOL J

Beastie Boys

Public Enemy

ドラムマシンからサンプラーへ

”みんなで創る”90年代ヒップホップ専門レーベル|C.r.e.a.m. Team Records

この時期のもう一つエポックメイキングなことと言えば、ヒップホップのトラックの主軸がドラムマシンからサンプラーを用いたサウンドへと以降していったことだろう。それはヒップホップシーンにおいてプロデューサーが主役となる時代の始まりでもあり、その代表格がクイーンズ出身のMarley Marlだ。サンプリングは今ではヒップホップサウンドの代名詞にもなっているが、Marley Marlが確立したサンプラーを用いてブレイクビーツを分解しビートを組み立てるという手法は、その後のヒップホッププロデューサーに脈々と受け継がれていくことになる。そして、Juice Crewという自らのクルーを率いていたMarley MarlはMC Shan、Roxanne Shante、Biz Markie、Big Daddy Kane、Kool G Rap & DJ Poloといった素晴らしき才能を自らのレーベル、Cold Chllin’より輩出し、Juice Crewは80年代半ば以降のヒップホップシーンの中で一大勢力となり、存在感を示していく

MC Shan

Roxanne Shante

Biz Markie

Big Daddy Kane

Kool G Rap & DJ Polo

Juice Crew

80年代後半のシーンを代表するアーティストたち

”みんなで創る”90年代ヒップホップ専門レーベル|C.r.e.a.m. Team Records

他にはMarley Marlも裏方としてレコーディングに参加していたEric B. & Rakim、Juice Crewと「ブリッジ・バトル」を繰り広げたKRS-One率いるBoogie Down Productions、プロデューサーとしてBoogie Down Productionsの初期作に貢献したCed GeeやMCとしてカルト的な人気を誇ったKool Kiethを擁するUltramagnetic MC’s、元祖ヒップホップバンドとして知られるStetsasonic、ヘビーなファンクサウンドを武器にしたラップデュオのEPMD、NYヒップホップの伝統を引き付きながらもヒップハウス「I’ll House You」をヒットさせたJungle Brothers、のちに女優として才能を開花するQueen Latifahなど、実にさまざまなタイプのアーティストが80年代後半に登場している。

Eric B. & Rakim

Boogie Down Productions

Ultramagnetic MC’s

Stetsasonic

EPMD

Jungle Brothers

Queen Latifah

全米へと伝播するヒップホップ

”みんなで創る”90年代ヒップホップ専門レーベル|C.r.e.a.m. Team Records

さらにヒップホップはニューヨークから全米各地にも伝播し、ロサンゼルスではN.W.AやIce-Tを中心にギャングスタラップのムーブメントが動き出し、ベイエリアではToo $hortやDigital Undergroundらがそれぞれ独自のスタイルを生み出し、マイアミでは2 Live Crewが下ネタ全開のラップで世間を騒がせた。さらにDef JamやCold Chillin’と同じように、ヒップホップ専門のインディレーベルが各地で立ち上がり、ロサンゼルスを拠点とするDelicious Vinylから1988年にリリースされたTone Lōc「Wild Thing」はヒップホップ史上初のダブルプラチナ(セールス枚数200万以上)の特大ヒットを記録する。

N.W.A

Ice-T

Too $hort

Digital Underground

2 Live Crew

Tone Lōc

ヒップホップ専門メディアの登場

”みんなで創る”90年代ヒップホップ専門レーベル|C.r.e.a.m. Team Records

1988年という年は90年代以降のヒップホップシーンの盛り上がりにも繋がる重要な事柄が起きており、この年の8月にMTVにてヒップホップ専門番組である『Yo! MTV Raps』がスタートしている。音だけでなくビジュアルからもヒップホップの魅力を伝える、さまざまなアーティストのミュージックビデオがこの番組を通じて全米に放映されたことは、ヒップホップがより一般層へと広がっていく大きな手助けとなった。さらにヒップホップ専門誌である『The Source』がニュースペーパーという形で始まったのも同じ時期で、『The Source』はその後、90年代のヒップホップシーンの中で絶大な影響力を持つことになっていく。https://www.pinterest.jp/pin/100908847877662936/

また、翌年にはグラミー賞にて「Best Rap Performance」(最優秀ラップ・パフォーマンス賞)が新設され、 DJ Jazzy Jeff & The Fresh Prince(現Will Smith)が受賞。必ずしもヒップホップファン層の支持と受賞アーティストが結びつくわけではないが、これもまたヒップホップの一般層への浸透の一つとして捉えることができるだろう。

Yo! MTV Raps

DJ Jazzy Jeff & The Fresh Prince

ヒップホップは次の時代へ

”みんなで創る”90年代ヒップホップ専門レーベル|C.r.e.a.m. Team Records

80年代末期にはDe La SoulやGangstarrといった、90年代のヒップホップシーンを席巻することになる新たな才能を持ったアーティストらがデビューを果たし、また次の時代のヒップホップを作り出していくことになる……。
(次章=Vol.1より、90年代のヒップホップシーンについて1990年から1年ごとに追っていきます)

De La Soul

Gangstarr

<本文終わり>

文:大前 至(おおまえ きわむ)

音楽ライター。1996年よりライターとしての活動をスタートし、ヒップホップ専門誌『blast』などを中心に執筆。2003年よりロサンゼルスへ拠点を移し、Stones Throwなどアンダーグラウンド・ヒップホップシーンを軸に取材活動を行いながら、音楽だけでなく、ファッション、アートなど様々な分野の執筆を手がける。2015年に日本へ帰国し、現在も様々な雑誌、ウェブメディアにてヒップホップを中心としたライター活動を行なう。