そんなヒップホップ・カルチャーが誕生したのは、今から49年前のこと。1973年8月11日、当時18歳であったジャマイカ生まれのDJ、Kool Hercがニューヨーク・サウスブロンクスのプロジェクト(注:低所得者向けの集合住宅)内のレクレーションルームにて開催した『BACK TO SCHOOL JAM』と銘打ったパーティがその起源と言われている。
よく言われるように、この時代のヒップホップシーンで最もリスペクトを得ていたのはDJで、ラッパーはあくまでも彼らの引き立て役でしかなかった。ヒップホップの歴史上、最初のラッパーと言われているのがKool Hercのクルー=HerculoidsのメンバーでもあるCoke La Rockだ。彼はKool Hercがプレイする曲に合わせてマイクを握ってオーディエンスを煽り、例えば彼が生み出したという<You Rock and You Don’t Stop>といったフレーズは、のちに様々なラッパーが曲の中で引用している。
そんなヒップホップ黎明期を舞台にしたのが、Netflixにて2016年に公開されたオリジナルドラマ『The Get Down』(邦題『ゲットダウン』)だ。1977年のサウスブロンクスからスタートするこのドラマは、当時十代であった若者たちを主人公にしたミュージカル劇でありながら、ニューヨークという地でヒップホップというものが生まれた背景や初期衝動からくる興奮、躍動感というものを見事に描いている。
70年代から80年代初期にかけては、『The Get Down』や『Wild Style』でも描かれているブロックパーティがヒップホップシーンの中心となっていたが、ニュージャージーにて誕生したインディレーベル、Sugar Hill Recordsが1979年にシングルリリースしたSugarhill Gang「Rapper’s Delight」によって状況は一変する。初のラップレコードと言われるこの曲は、実はレーベル側が急ごしらえで用意した素人3人組がGrandmaster Cazという本物のラッパーが書いたリリックをラップしたもので、シーンにとってはいわばフェイクな代物であった。
1983年に入り登場したのが、ヒップホップ史上最も偉大なグループの一つであるRun-D.M.C.だ。RunとD.M.C.という2MCの掛け合いによるラップのスタイルは、それまでの世代とは圧倒的に異なるグルーヴを持ち、さらにサウンドにエレキギターを大胆に組み入れたことで、今までヒップホップに見向きもしなかった層にも深くアプローチした。なかでもAerosmithの同名曲をカバーした「Walk This Way」の破壊力は凄まじいものであった。この「Walk This Way」をプロデュースしたのがRunの実兄であるRussell SimmonsとRick Rubinだが、彼らが設立したレーベル、Def Jam Recordingsもまた80年代のヒップホップシーンを語る上で欠かせない存在だ。マッチョでストロングなスタイルを押し出しながら、アイドル的な人気で女性ファンからも絶大な人気を得ていたL.L. Cool J.。パンク出身の白人3人組という編成で「Fight for Your Right」という特大ヒットを放ったBeastie Boys。そして、リリックの中に社会的なメッセージも交えながら、まるで軍隊のような演出によるステージングでも魅了したPublic Enemy。80年代半ば以降に、それぞれ全く異なるタイプのこの3組のスターをDef Jamが世に送り出した功績は非常に大きく、ヒップホップの表現の可能性を無限に広げた
RUN DMC
LL COOL J
Beastie Boys
Public Enemy
ドラムマシンからサンプラーへ
この時期のもう一つエポックメイキングなことと言えば、ヒップホップのトラックの主軸がドラムマシンからサンプラーを用いたサウンドへと以降していったことだろう。それはヒップホップシーンにおいてプロデューサーが主役となる時代の始まりでもあり、その代表格がクイーンズ出身のMarley Marlだ。サンプリングは今ではヒップホップサウンドの代名詞にもなっているが、Marley Marlが確立したサンプラーを用いてブレイクビーツを分解しビートを組み立てるという手法は、その後のヒップホッププロデューサーに脈々と受け継がれていくことになる。そして、Juice Crewという自らのクルーを率いていたMarley MarlはMC Shan、Roxanne Shante、Biz Markie、Big Daddy Kane、Kool G Rap & DJ Poloといった素晴らしき才能を自らのレーベル、Cold Chllin’より輩出し、Juice Crewは80年代半ば以降のヒップホップシーンの中で一大勢力となり、存在感を示していく
MC Shan
Roxanne Shante
Biz Markie
Big Daddy Kane
Kool G Rap & DJ Polo
Juice Crew
80年代後半のシーンを代表するアーティストたち
他にはMarley Marlも裏方としてレコーディングに参加していたEric B. & Rakim、Juice Crewと「ブリッジ・バトル」を繰り広げたKRS-One率いるBoogie Down Productions、プロデューサーとしてBoogie Down Productionsの初期作に貢献したCed GeeやMCとしてカルト的な人気を誇ったKool Kiethを擁するUltramagnetic MC’s、元祖ヒップホップバンドとして知られるStetsasonic、ヘビーなファンクサウンドを武器にしたラップデュオのEPMD、NYヒップホップの伝統を引き付きながらもヒップハウス「I’ll House You」をヒットさせたJungle Brothers、のちに女優として才能を開花するQueen Latifahなど、実にさまざまなタイプのアーティストが80年代後半に登場している。
Eric B. & Rakim
Boogie Down Productions
Ultramagnetic MC’s
Stetsasonic
EPMD
Jungle Brothers
Queen Latifah
全米へと伝播するヒップホップ
さらにヒップホップはニューヨークから全米各地にも伝播し、ロサンゼルスではN.W.AやIce-Tを中心にギャングスタラップのムーブメントが動き出し、ベイエリアではToo $hortやDigital Undergroundらがそれぞれ独自のスタイルを生み出し、マイアミでは2 Live Crewが下ネタ全開のラップで世間を騒がせた。さらにDef JamやCold Chillin’と同じように、ヒップホップ専門のインディレーベルが各地で立ち上がり、ロサンゼルスを拠点とするDelicious Vinylから1988年にリリースされたTone Lōc「Wild Thing」はヒップホップ史上初のダブルプラチナ(セールス枚数200万以上)の特大ヒットを記録する。
N.W.A
Ice-T
Too $hort
Digital Underground
2 Live Crew
Tone Lōc
ヒップホップ専門メディアの登場
1988年という年は90年代以降のヒップホップシーンの盛り上がりにも繋がる重要な事柄が起きており、この年の8月にMTVにてヒップホップ専門番組である『Yo! MTV Raps』がスタートしている。音だけでなくビジュアルからもヒップホップの魅力を伝える、さまざまなアーティストのミュージックビデオがこの番組を通じて全米に放映されたことは、ヒップホップがより一般層へと広がっていく大きな手助けとなった。さらにヒップホップ専門誌である『The Source』がニュースペーパーという形で始まったのも同じ時期で、『The Source』はその後、90年代のヒップホップシーンの中で絶大な影響力を持つことになっていく。https://www.pinterest.jp/pin/100908847877662936/
また、翌年にはグラミー賞にて「Best Rap Performance」(最優秀ラップ・パフォーマンス賞)が新設され、 DJ Jazzy Jeff & The Fresh Prince(現Will Smith)が受賞。必ずしもヒップホップファン層の支持と受賞アーティストが結びつくわけではないが、これもまたヒップホップの一般層への浸透の一つとして捉えることができるだろう。
Yo! MTV Raps
DJ Jazzy Jeff & The Fresh Prince
ヒップホップは次の時代へ
80年代末期にはDe La SoulやGangstarrといった、90年代のヒップホップシーンを席巻することになる新たな才能を持ったアーティストらがデビューを果たし、また次の時代のヒップホップを作り出していくことになる……。 (次章=Vol.1より、90年代のヒップホップシーンについて1990年から1年ごとに追っていきます)